そもそもさんの振りかえり日記

2024年3月までにヘソクリ100万目標!!!

前職の事 センター長編

昨夜、元同僚と飲みに行った。

同期入社で一か所に複数人配属されたのは私たちだけだった。

教えてもらった内容や、接した先輩、上司の人柄などについて情報交換が出来るなど、他のセンターに配属された同期たちに比べると、もしかしたら恵まれているのかもしれないと初めは思っていられた。

毎日一緒に帰っていたので、私より9歳年下の同期と急速に仲良くなっていった。

職場は、妙な緊張感が漂い、暗い印象があった。

先輩方の利用者様に対する対応が、優越的関係性を感じさせるものだからだ。

センター長は、考えや気持ちを言語化する事が上手くいかない男性だった。

いつも忙しそうにふるまい、声をかけられるや否や「今は無理です」と言い、自分の仕事で精いっぱいという感じだった。

ようやく対応してもらっても、とにかくこちらの質問を最後まで聞かないうちに、途中でそもそも論が始まり、論じ終えるまで待たないと質問の続きが出来ない。私が質問内容を説明し始めると、なぜか勝手にしゃべり始めるのだ。

なぜその質問をするのかとか、その件についてどこまで理解できているのかなど聞いてきて、それにこちらが答えないと質問の続きが出来ない。時にはそういった質問返しに付き合わされているうちに別の用事が入り、結局確認してもらえず仕事が保留になってしまう事もよくあった。

ひとまず最後まで質問や相談を聞いて下されば次に進めるのだが、おそらく、じっと聞くことが(不意の質問を理解することが)凄く苦手なんだと思う。自分主導にするために意味のない質問返しをして、話の流れを自分で作りたいか、質問に答えないで済む(決定を下さないで済む)ための逃げにしか思えない。センター長という立場を使って、なんとか仕事をしないようにしているように見える。職員に対してそういった役職の職務を全うしないだけでなく、利用者様に対しても随分いい加減に対応している。

私が抱いていたセンター長に対する不満を話すと、ビールを飲むことを忘れて食い入るように話を聞いていた同僚が、「同じことを思っていた」と言い始める。

同僚の言いたいことはこうだ。

 

センター長はとにかく、何でも自分でやりなさいといった教え方なのだが、精神論ばかりで具体的な支援や指導はほとんど行わない。物事を上手にこなせない利用者に対するダメ出しの説教に沢山時間を使っている事を普通にミーティングで言うところからも、優越的関係性に依存していると思う。批判的で言い訳がましくて勝手気ままなところがあり、支配的。こんな人が障害者の就労移行支援の支援員としてキャリアを積んでセンター長になってしまって。そりゃあ、センター長付きの利用者様は元気がないよな。いつも怒られてばっかで、「はい」しか言えなくなって、そのうちセンター長から言われたこと以外は行動できなくなる。だんだん、心の自由を奪われていく。でも、言われないと行動できないのではだめだと更にダメ出しをされて…何していいんだか分からなくなっちゃうんだよね。真面目な利用者様は焦りと緊張でどんどん依存していってしまう。”自分でやりなさい”と言いながら、その方のやりたい事(ニーズ)はなかなか通らないんだから可哀想だ。利用者の希望で担当者を変えることは出来ない規則にしているため、支配し放題だ。

私の家族がこんな目に遭ってたら絶対許さないと思いながら仕事をしていたが、知的や発達の方の場合、本人だけでなくご家族も、そういった支配的な行為をあまり気にしない方がいるので問題になることは無いのだよ。それが分かってるから平気で当たり前に人前で説教できるんだよね。あーもー思い出すと、反吐が出る。

 

確かに、自立支援を受けてる方は支援者に逆らうと不利と思い込んでる方がほとんどと思うし、家族が非協力的な場合もよくあるので、大人なんだけど支援が必要だから福祉サービスを利用している社会的弱者なんだと私は思います。ひとり親家庭やヤングケアラ―のように ”今は支援が必要な方” に何も教えないで自分で考えろって、不親切ですよね。私は、出来ないことは教えてあげて、身に付くまでが支援と思うんですけど、繰り返し教えてあげる事は甘やかしになると本気で思っている人が良い支援員(良い社員)と評価されるので、会社的には「障害に寄り添わない」人が良いみたいです。

利用者様が自分で動いて、繰り返し何度もお願いするうちに、何度も聞かれて仕方ないからと教えてあげる職員がいたり、時には利用者同士で助け合ったりしているんです。つまり、センター長位になるとそういったことで誰かから責められることは無いので、手を抜き放題なんですよ。センター長に限らず、私の職場では、サビ管も、主任も同じようなやり方なので、先輩も右へ倣えで必死について行ってます。私は出来が悪いので、どうしても支援を頑張ってしまいます。正直、ほっといても、支援しても、かかる手間はそんなに変わらない。ほっとかれてる人が何か問題を起こすからです。ほっとかれて困った利用者様が他の支援機関に相談しちゃったり、特定の利用者様を頼るようになってしまったりして、別の問題に手間がかかるから、もう、いっそ教えてあげて、次のステップに進めたほうが良いんじゃないかなって思って見てました。

非力な私は、そっとアドバイスしたり、こっそり教えちゃったりしてました。

センター長は、そういった「関わらない支援」という手法で頑張られてこられた方なのですよね。省エネ・・・長く勤めるためには必要なテクニックなんだと思います。

ただ、利用者様からは「何で教えてくれないんですか」とか言われちゃってますけど、そこは得意のお説教でマウントを取って、結局目的は、自分を頼らないようにすることなんだろうな。そうやって自立を促す…2年間。なるほどね…。説教、始まると軽く30分は続くんだよね。悦に入っちゃうんだろうね。気持ちいいんじゃないかな。

あぁ、世界の終わりも歌ってたな。説教するって結構快楽ってか。

 

思い切って、面接受けました。

事業所移転により10年務めた事務職を辞めざるを得なかった。

大したスキルもないがやる気だけで何とかなっていた事務員生活に幕が下りた。

若いころは販売員などの接客の仕事を主に勤めていたが

それも大してスキルがあったわけではない。

自分の得意が分からなくなり

ハローワークの求人検索で職種の選択が出来なくて悩んでいた時

ふと目に飛び込んできた求人票は

呉服屋の求人票だった。

私の中で 呉服屋が求人を出している事がとても意外で

ビビッ!ときた

無資格OK 未経験OK 年齢不問なら

思い切って 面接受けてみようと思い

窓口に相談した。

先方に電話してくれて、今日 面接できないかと言われ 夕方向かう事に。

初めて入る呉服屋の雰囲気に ことさら緊張しましたが 即決で採用

履歴書を渡すなり いつから働き始められるかと聞かれ

本社に連絡して採用手続きが通るまでの間 基本知識の小テストを受けていた。

テストの点は10問中3点^^;だったが

入社3ヶ月目には店舗内で顧客獲得数1位!

入社半年で着付けを習得し着物検定4級取得(←3級はイベント日と重なり受験できず)

イベントにお客様を動員出来るようになり

染織工房の先生から「あなたは絶対売れるから5年はやめないで!」と言われたり

自分の個性を生かして のびのび働けて楽しかった♪

売上が店舗でダントツ1位、社内で確認できた範囲で67/500位まで上がり

大きなイベントの常連になると お客様にも特別なおもてなしが提供できるようになり

お客様の満足度も上がり 益々業績が上がり 忙しく充実した月日を送っていた。

そんな日々が コロナによって急変した。

2022年3月28~29日の土日 不要不急の外出自粛要請に伴う臨時休業。

この2日間の臨時休業は痛かったなぁ・・・

私が獲得した 2日間合わせて30件ほどの予約がパァ(ノД`)・゜・。

顧客に臨時休業のご案内と対処についての電話を自分一人で行った。

売れる人が売れた分クソ忙しくなる店ルールがあるため 

予約が1件もない人は何もしなくてよいの。

でも 給料は普通に出るの。

だから 何も考えないで頑張った私は お馬鹿さん。

パソコン業務が苦手な61歳の店長が顧客情報の入力を別の職員名で上書きしたり…

パートのお局が着付け道具を隠すという幼稚ないじめをしたり…

あぁ 思い出しちゃダメ(´;ω;`)

巨大な不公平感と パートなのに私と張り合うお局とのバトルに疲れてるところへ

店の売り上げの為だと店長に顧客を取り上げられ やる気喪失。

店の存続が危うくなったと聞いて 今だ!!と退職。

接待営業ばかりだった呉服販売から離れ 胃も心も平穏になりました。

店長とお局の事を除けば楽しい仕事でしたので

あの時思い切って面接して良かったと思っています。

着物産地の方々から沢山お話が聞けて大変勉強になりました。

自装と他装も出来るようになり 娘の成人式に母として振袖着付が出来たことが

一番うれしい事でした。

着付は職場で教わる事ではなく自主的に学習したことですが

ここで働いていなければ自分で着つけようとは思っていませんし

きっと 成人式の支度をどうするかで悩んでいたことと思います。

人生の大切な日を思い出深い出来事として終える事が出来たのは

呉服屋で働けていたからだと思います。

また 自分は子供が好きだなぁと実感できたのもこの職場でした。

着物の試着には最低でも1時間をかけるものです。

試着だけで帰さないからです。

ママを待っているお子様の相手をすることを嫌がる職員がほとんどですが

私には楽しくてうれしい時間でした。

退職後は 子供に関わる仕事に就きたいという新たな目標が出来た事でも

得るものが多い職場でした。

 

蕎麦の乾麺はすぐに茹でてはいけないようだ。

長男が蕎麦好きなので

小さい頃はよく

おやつ代わりに蕎麦を食べさせていたが

中学生になってから味にうるさくなってきた。

私はとにかく

茹で時間と

すぐに冷水にさらす

という事に気を付けていたが

どんなやり方をしても

イマイチだなと言われてしまうようになり

息子が言う「美味しくない」の感覚が分からず

値段”お高め”のを買ってみたり

人気あるとか賞とったとかいろいろ試して

そば粉の割合まで気にするようになるが

何処かで食べた美味しかった記憶に辿り着くことなく

悶々としながら家でそばを茹でて食べ続けていた。

外食の時にも蕎麦があればつい頼んでしまう息子は

外食でも「美味しくない」の感覚があると言い

高校時代には”蕎麦離れ”が始まってしまう。

あんなに大好きだった蕎麦が苦手になってしまったと言うのだ。

一体何がそう感じさせるのか・・・

私としては蕎麦は好きな麺類の上位三位には入っておらず

うどん→パスタ→ラーメンの後のどこかにある感じ。

蕎麦は好きだがスゲー美味い!と感じたことは・・・数回あったかな

それっていつ?どこで?

なんか、蕎麦をメインで食べるのって

ご飯作るのめんどくさい時くらいかも。

味わってなかったわ。

まぁこんなもんかという感じで麺つゆと薬味を工夫して食べてたわ。

蕎麦が大好きだった息子を蕎麦離れさせてしまったのは

私に責任があるのかもしれないと反省し

蕎麦と向き合ってみる事にした。

とはいえ

もともと蕎麦が大好きなわけではないので外食の時は蕎麦食べない。

立派な蕎麦屋に行ったときにカレー南蛮蕎麦とか頼んじゃって。

そんなある時

しょっちゅうイオンで食事してるおばさんが

「イオンはそじ坊位しか食べたいものない」とつぶやいてるのを聞き取った。

早速連れて行ってもらうと

見つかりました。

すごくおいしい蕎麦屋を見つけました。

すぐに息子にその事を伝えて誘いましたが

大学生になった息子は私と二人で出かける事に躊躇するようになってきて・・・

ただ

私の中で

美味しい蕎麦の味の定義が見つかったので

なんとか自宅で再現できないものかと集中的にネット検索開始。

そじ坊のテイクアウトに頼らず(何で?)。

すると

茹でる前に15分ほど水に浸してから熱湯で2~3分茹でるという方法を知る。

なんと!

美味しい蕎麦が茹で上がりました!!

全然違う!!

息子は「はいはい」って感じで食べ始めていましたが

美味しくてビックリして喜んで完食してくれました(^^♪

ただ

蕎麦離れしている間に

パスタが大好きになってしまって・・・

でも

おかげさまで我が家では

年越し蕎麦が復活できたことが嬉しいです。

素麺に至っては茹でてはいけない説もあるみたいなので

適切に調理して美味しくいただけるように気を付けます。

 

うどんが好き。だが、何でもいいわけではない。

うどんが好き。

讃岐うどんが好き。

今年の夏

末っ子と美術館に行った帰りに

急激な空腹症状に陥り

駅構内の「親父の製麺所」に飛び込んだ。

鰹節と香味野菜みたいなのの混ぜうどん?を注文。

薄暗い店内の

空調の排気口付近の席で

頭頂部にずっと強風を感じながら食べ始めると

コシのある麺のモチモチした歯ごたえの合間に

野菜のシャキシャキが

くたびれた体に刺激を与えてくれて

「美味しい~!!」と感じられるひと時でした。

某世界に進出製麺チェーン店が近所にあるけど

マイタケの天ぷらが大きすぎて

食べにくいし油っこいし

マイタケで腹いっぱいになってしまうし

そこでだいぶマイナス気分になってんだけど

肝心のうどんの食感が好みでない事から

二度と足を踏み入れておらぬ。

麺類をノド越しで味わうという私の姉は

徹底的に丸呑みする人。

そういう場合は麺のコシなどはあまり気にならないのだと思うが

私は徹底的に噛み締める人なので

冷蔵庫から出した麺に熱いつゆをかけただけみたいな

プツンプツン切れて

麺に艶とか透明感が無い感じのは

大嫌いです。

そんな麺が家にあったら

徹底的に煮込んで味シミシミのやわやわ麺にしないと食べたくないです。

時々お土産にうどんをいただくのですが

蕎麦もうどんも乾麺は美味しく茹でるのにテクニックがいるなぁと感じてます。

因みに

家で手作りした時のうどんは

レシピ通りにやっただけですが美味しかったな。

最近は気温が低くなってきたので

エアコンを寒く感じる日には

朝からうどんが食べたくなる私です。